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![]() 第50号 |
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会長 風 岡 正 明 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 令和六年度の愛知教育大学同窓会総会において会長に推挙され、何を成すべきかよく分らぬままに数か月が経ちました。 おもに愛知県内の学校教育の現場において日々努力を重ねられている多くの皆様を会員とする本同窓会の会長を務めるなど思ってもいませんでした。その器でもないことは本人がもとよりよく承知していますが、野田敦敬名誉会長の強いお勧めもありお受けすることになりました。活動の内容など未だよく理解できていない面もありますが、誠意を持って取り組んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 昨年は愛知教育大学が創基150周年を迎えるという大きな節目の年となりました。これを機に母校がどういう歴史を経て今日在るのかを改めて知り、また自己の学生時代を懐かしく思い出された方も多かろうと思います。 私ごとになりますが、愛知教育大学入学の昭和42年は、大学の名称がそれまでの愛知学芸大学から愛知教育大学へと変更になった年です。1、2年次は名古屋分校に通い、3年次は岡崎へ、そして4年次は現井ヶ谷の地へと学舎が3か所も変わりました。3年生の時は大学紛争の最も激しい時で、一時大学が閉鎖された時期もありました。想えばそれぞれの時、それぞれの地でのいろいろな思い出が蘇ってきます。 卒業後は7年間、名古屋市の中学校に勤務し、8年目には普通ではありえない人生の大転換で母校の助手に採用されました。以来63歳の定年を迎えるまで34年間を大学で過ごさせていただきました。所属は国語科東洋学教室です。 中学に勤めている時も、大学に替わってからも同窓生としての懇親の会はあり、それが縁となって相談に乗ってもらったり教えてもらったりすることが多々ありました。ただ同窓というだけで何がしかの親近感が生じるのも考えてみれば不思議なことですが、根底に共通した母校愛というべきものがあるからかもしれません。これからも同窓会の活動がそれぞれの地区、年次等で催されることでしょう。意義のある会であり続けることを願っています。 大学を退職した後は書道の幾つかの団体の役員をしていて、お陰で暇を持て余すようなこともなく、一書作家としてはまだ現役のつもりでいます。中国の書論家孫過庭の「書譜」の中に「人書倶老」(人書倶に老ゆ)という言葉があります。生涯書道に精進して怠ることがなければ、その人も書もいつか老成して滋味が出るという意味です。本当にそうなれるのかわかりませんが、私の理想とするところです。 退職時に大学に寄贈させていただいた作品があります。今は講堂の会議室に掛けられています。全紙大の紙に「済美(さいび)」と書いてあります。『春秋左氏伝』にある言葉で、意味は「父祖の立派な業績を受け継いで成し遂げる」の意です。長い歴史と伝統を有する愛知教育大学の益々の発展を祈念して書いたものです。機会を得ていつかご覧いただければ幸いです。 |