会員の声

子どもの目線に立つ 国語の教科書
宇佐美  徹
社会科 法経社教室
(昭和62年卒業)
一宮市立丹陽西小学校

 昨年度、25年ぶりに小学校に転勤になりました。新任以来の小学校勤務をとても楽しみにしていましたが、小学生に対してどんな話をすれば良いのかなど、戸惑うこともありました。
 集会などで子どもたちへの話を終えると、分かりやすい話の内容であったか、言葉遣いや速さ、表情はどうであったかなど、振り返ることが何度もありました。そんな時、新任の頃に先輩から教えられた「子どもの目線に立つ」という言葉を必ず思い出しました。
 話し方のみならず、発達段階を考慮して「子どもの目線に立つ」ことは、学習指導や生徒指導を含め、子どもへの接し方の基本となるものです。小学生の子どもたちを前にして、今更ながらそのことを痛感する一年でした。
 子どもたちへの接し方にはまだまだ戸惑うことも多くありますが、「子どもの目線に立つ」ことを疎かにしないよう心掛け、日々取り組んでいきたいと思います。
会 田 真 弓
小学校教員養成課程
教職科 心理学教室
(平成9年卒業)
南知多町立豊浜中学校

 国語の教科書が好きである。中でも、俳句や短歌が好きで、思わず熱く生徒に語ってしまう。
 中学2年生の国語の教科書に正岡子規の短歌「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」が教材として取り上げられている。紅の色は、薔薇の花の色だと思い込んでいた。薔薇の花は赤色、芽や葉は緑色と私が決めつけていたからだ。しかし、この短歌に出会って、薔薇の芽が出る季節にじっくり観察してみた。驚いた。薔薇の芽が赤かった。いや、紅色だった。そして、「針やはらか」な薔薇のとげにさわってみた。痛くない。硬くない。本当に柔らかいのだ。薔薇はいたるところで植えられていたのに、私は全然見ていなかった。同時に、初めてみずみずしい季節を捉えることができ、うれしくて心が弾んだ。
 時を経てもみずみずしく残る言葉、感動を与える言葉、そんな国語の魅力をこれからも生徒に伝えていきたい。

たくさんの出会いに感謝を 「やってみる」を大切に
御堂 晃 司
初等教育教員養成課程
国語選修
(平成27年卒業)
愛知郡東郷町立
兵庫小学校

 これまでに自分が歩んだ道を振り返ると、たくさんの恩師、先輩、友人、後輩の顔や言葉が浮かぶ。「人生は環境で決まる」という言葉を聞いたことがあるが、私はこれまでに本当にたくさんの教えや支えをいただいてきており、自分が恵まれた環境で生きてきたことを常々感じている。特に自分が教職を目指し始めた大学時代、そして社会に出た後に、様々な立場の人からいただいた知識や刺激は大きな宝だと思う。人と人が出会い、話し合い、影響を与え合うことの大切さは、児童に伝えていきたいと思うことの一つだ。
 私は今年、教員2年目を迎え、1年生の担任をさせていただいている。自分より非常に経験の浅いはずの児童に毎日のように驚かされ、感心させられる。同じように、自分との出会いが彼らにとって良いものになるようにと日々の生活や授業の工夫に頭を悩ます毎日である。今後もたくさんの出会いを大切にし、経験を教育に生かせるよう精進していきたい。
川 添 登志子
物理学教室
(昭和55年卒業)
名古屋市立桃山小学校

 「『青海島』その名のような海の色を眺めてみたい」
 矢崎節夫さんの講演で金子みすゞさんを知ってから、自然の姿への深い愛情や悲しみを瑞々しい感性で綴った詩に魅了された。その半生にも心打たれ、以来ずっと、仙崎の町を訪ねたかった。ようやくみすゞさんが過ごし、詩が生まれた町の空気を感じ取ることができた。
 単線の駅を降りると正面にとても静かで小さな町のメイン通りが見える。東方に進むと港がある。船上から間近に見る青海島は岩肌の変化が興味深い。海は澄んだ青色の濃淡が美しく想像を超え、体験の大切さを実感した。どんな町だろう。行ってみたい。どんな人だろう。会って話してみたい。どんなものだろう。試してみたい…
 私は、自分も一人の人として教師として体験を積み、心豊かになって子どもたちに語り掛けたいと思う。「子どもたち!やってみて初めて分かることがある。失敗を恐れず挑戦しよう!」と。

あんな先生になりたい 私の選ぶ道
宮 嶋 賢 一
物理学教室
(平成7年卒業)
名古屋市立鶴舞小学校

 教師を志願する若者が、減少傾向にあると聞いた。そこで、今更ながら教師を職業として考えてみた。
 真っ先に思い浮かぶのは、子どもたちの顔だ。例えば「分かった!」「できた!」と溢れんばかりの笑顔。例えば、歯を食いしばり乗り越えようとする真剣な顔。悔しくて悲しくて泣き出しそうな顔。子どもたちの精一杯生きるその瞬間、私たち教師は子どもたちの側にいる。本当に素晴らしい職業だと思う。もちろん明るい側面ばかりではない。メディアを通して伝わる教師像は暗い面も多く「本当に私に勤まるのだろうか」と不安を感じさせてしまうこともあるだろう。
 次世代を担う子どもたちが、将来のことを不安に感じたとき、一番身近にいる私たちが、生き生きと働く姿を見せることは、とても重要なことだと思う。また、将来に迷う若者に、教師という職業の素晴らしさを伝えていくことも、5年後、10年後の教育のためには大切なことではないだろうか。「あんなふうに働きたい」「あんな先生になりたい」、そう思ってもらえる積極的な努力が必要なときだと思う。
青 木 遥 花
初等教育教員養成課程
理科選修
(平成27年卒業)
名古屋市立春日野小学校

 「迷ったら、自分の好きな方を選びなよ。」
 学生時代、私の背中を押してくれた友人の言葉だ。
 教員生活も3年目。幸せなことに、初任で担当した子たちとまた学べることになり、私の夢は、膨らんだ。
 しかし現実は、そう甘くはなかった。そこには、私の知っている甘えん坊の子たちではなく、思春期に差しかかった難しい子たちがいた。悩んでいると、不思議と周りの良いところばかり目に入る。「教師に向いてないのかな。」と悩んだ。そんなとき、あの言葉を思い出した。周りなんてどうでもいい!私の好きな道を選ぶのだ!周りを気にせず自分の道を貫くと案外うまくいった。いつもそっけない態度だった子が手伝ってくれたり、暴力的な子の暴力が少なくなったりして、少しずつ光が見えた。頭で考えてばかりで、いつのまにか子どもと正面から向き合うことの大切さを忘れていた。
 社会に出ると、なかなか会えない仲間だが、共に過ごした時間を胸に、これからの教員生活に励んでいきたいと思う。

「思い」のリレ− 過去の自分がつぶやく
酒 井 多香子
養護教育教室
(昭和58年卒業)
安城市立明和小学校

 私は養護教諭として採用され、小・中学校に勤務した後、教育委員会に10年間勤務しました。そこでは行政と学校現場の違いに戸惑いながらも多くのことを学ぶことができました。その時期に、それまで閉ざされていた養護教諭の管理職への道が開かれました。その後、教頭を経て、今年度より校長として学校経営に携わることになりました。
 管理職として勤務する上で感じるのは、養護教諭の職務の特質が、そのまま学校経営に生かされるということです。企画・運営、外部折衝、児童生徒・職員・保護者対応、環境衛生など、初任者の時から日々求められた資質能力です。特に、危機管理や子ども理解は、毎日の養護教諭の職務の中で培われたものだと思っています。養護教諭だからこそもっている視点や経験を学校経営に反映させることで、子どもの豊かな成長に貢献できることを実感しています。
 多くの先輩方や出会ってきた方々から託された「思い」を次の先生方へ繋げられるように、今後も努力していきたいと思っています。
白 井   健
数学教室
(平成7年卒業)
豊橋市立大村小学校

 新任のとき、わけもわからず年次代表となり、気づけば23年間。本年度、豊橋支部壮年部長のお仕事をいただいた。壮年部・青年部合同の年次代表者会が終わった後、役員で書類の発送準備をしていると、数人の先生が進んで手伝ってくれた。自分が若いときは、こんなことしていなかった。夏休みに開催するサマーパーティーで多くの参加を募りたくて、個人的にも多くの先生方に声をかけた。「先生に誘われたら行きますよ!」と笑顔で応えてくれる。自分が若いときは、参加できない理由を必死で考えていた。
 様々な会の企画や運営をすることに負担を感じないわけではないが、それ以上に、こんなにたくさんのステキな同窓の先生方に助けてもらえる場面を通して、過去の自分がつぶやく。「人と人との和を大切に、この1年、過去の自分の反省を生かしなさい。」と…。

新たな景色から 私にとっての人事交流制度
平 野 瑞 季
初等教育教員養成課程
音楽選修
(平成28年卒業)
新城市立舟着小学校

 今年度、担任する学級が2年から6年になり、教室も1階から2階へ変わりました。窓の外の校庭も、1つ階が上がるだけで全体がよく見え、こんな様子だったのかと改めて気づかされます。
 自分自身、今年で教員2年目を迎え、昨年度と比べて見えるものが変わってきました。児童の様子や授業の進め方、学校行事での教師の動きなど、多種多様です。いろいろ見えてきた分、少し余裕も出てきました。
 そんな時に思い出すのは、1年目を終える頃に職場の先輩に言われた一言です。
 「勝負は、2年目ですよ。」
 1学期を終えた今、この言葉の意味がよく分かります。1年間の経験に加え、初任研もない分、出てきた余裕をどう使うかが勝負なのだと感じます。2年目こそ、自分から積極的に学ぶ機会を求めなければ、成長できる場が非常に少ないのだと実感しました。
 2階から様子を見るだけでなく、自分から一緒に校庭を駆け回り、汗を流すような2年目にしていきたいと思います。
青 山 信 夫
小学校教員養成課程
数学教室
(昭和61年卒業)
愛知県立熱田高等学校

 私は、高特の人事交流制度に応募して、平成28年度から熱田高等学校に勤務していますが、以前にも、平成15年度からの3年間も、市町村立の小中学校との人事交流制度に応募し、小学校に勤務させていただきました。
 私は、教員になって知的障害特別支援学校に赴任し、その後、名古屋聾学校に転勤しました。健常の児童・生徒の指導に関わることはそれまでなかったのですが、人事交流制度のおかげで、数多くの個性的な子どもたちに出会うこともできました。そして、その時々の子どもたちの有り様を肌で感じることもでき、我が家での子育てにも役立ちました。
 この制度では、人事交流期間終了後は、交流前の勤務校に戻ることが原則となっています。一度ならず二度までも人事交流に送り出していただいた名古屋聾学校の皆様に感謝しつつ、特別支援学校では経験できなかった様々なことを、カウントダウンに入っている教員生活の中で、可能な限り伝えていけたらと思っています。

起点の言葉
「自分自身に向きあう」
卒業生と同窓生の
皆さまに感謝
淺 野 卓 司
大学院教育学研究科
芸術教育専攻
(美術分野)
桜花学園大学

 愛知教育大学を基幹とする5大学連携事業の取組みが終了を迎えました。連携協力校の担当者として、この事業に関わることになり、久しぶりに母校の懐かしい風に触れることができました。ありがとうございました。卒業して20年以上の月日が流れているにも関わらず、美術棟を散策した時に、彫刻専攻で製作活動に没頭していたあの日々を、ふと思い出しました。
 現在も細々と作品を発表していますが、製作している背中越しには、当時の先生方の声を感じる瞬間があります。「製作とは、自分自身に向き合うこと」という言葉もその一つです。良くも悪くも自分の心のあり方が作品として形に表れるという意味でもあり、どんなことにも通底しているように感じます。
 保育者養成に関わる中で学生に伝えたいことは、このように学生時代から今も私の心に残り続けている言葉です。学生へ繰り返し話すことで、私自身もその言葉の意味を改めて確認したいと思っています。
田 島 一 宏
中学校課程
物理学教室
(昭和37年卒業)

 昭和37年卒業と同時に伊勢湾台風の傷跡が随所に見られた、名古屋市港区の南陽中学校へ赴任。早々に3年C組の担任を仰せつかりました。
 その1年間しかお付き合いのなかった、今でも大変印象に残っている教え子たちの「古稀を迎える会」が、春に私の喜寿に合わせて行われました。またお盆には2年毎に開かれる「附中27回生の集い」、そして好天に恵まれた秋には2校めの円上中の子たちの「還暦を祝う会」、年が明けて「附中28回生・新春の会」と、何度も教え子たちから若さをいただいた昨年(28年)度でした。
 歳の差はいつまでも平行移動していきますが、最近は漸近しているようです。私よりも苦労を重ねてきたような髪の量や色、顔のシワやツヤ…など。でも、すぐ昔の中学生の顔に戻ってくれます。今の苦労話や自慢話の後に、私の理科室での厳しかった白衣の姿やよく透る声での指示、授業の中味よりその時々の冗談や駄洒落など、もっともらしく懐しく語ってくれます。
 お互いに当時の若人に戻れるTime slipのmechanismの不思議さをその都度感じております。
 今の教育界の大変さを思う時、何とか38年間勤めることができ幸せでした。これも一重に、先輩の皆さまのご指導とご助言、同僚の先生方のご協力、それに何よりも卒業生たちの励ましに勇気付けられたものと感謝の念で一杯です。
 同窓会の益々の充実と発展を、心よりお祈り申し上げます。